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紫陽花と昭和生まれの思い出と

紫陽花を見に、5ぺさんと一緒に散歩♪♪

紫陽花ってきれいね~(*´▽`*)
見事にバラバラすぎる。笑

集合写真を撮るのってなんでこんなに難しいものかな^^;

一応、1枚の写真に全員収まってるという名目の集合写真。笑

紫陽花ってこうやって観光名所的に綺麗に咲いてるところもあれば、家庭の庭先に咲いてるのも綺麗ですよね。

昨今のご時世、庭先に咲いた紫陽花をチョキンと切って子供の小学校のクラスにもって行かせたり、、、とかなくなってるのかなぁ。

お菓子作りが得意な友達が作ったブラウニーをクラスに配ったりとか。

私が小学生の時は、クラスの友達のお母さんが手作りで趣味で作った石鹸がクラスのみんなに配られたりが普通にあって、しかも最近見るようなオシャレでカラフルでいい香りの固形石鹸ではなく、確か油?が原料になってる半透明の柔らかい見た目は確実に石鹸じゃない石鹸で、味噌が入ってる透明のパックのような丸い入れものに入ってました。

友達の苗字で、○○石鹸と呼んでて普通にお家で使ってたなぁ。懐かしい。

人との繋がりが昭和、平成、令和と元々薄れていた中に、withコロナが当たり前の社会になって人と対面で触れ合う機会が減った今、正直便利で楽に感じる部分があるのもあるけれど、だからこそ余計に直接誰かと同じ空間にいることで感じる空気や温度、ぬくもりの大切さって大事なんだなぁ。。。と感じたりもしたり。

結局、どちらも大切で、どちらかだけだと人間バランスが取れなくなってるんじゃないかなぁと思ったり。

漫画【NANA】(めちゃめちゃハマって何度も読んでた←18年くらい前^^;)で凄く印象深くて、今でも時々思い出すのが、大崎ナナの方のセリフで「ただの通信手段の機械(携帯電話)に人の絆の強さを試されたくなんかないのに」ってあって、そのころスマホなんかなかったけれど、それでも携帯電話がないと生活できないほど生活に浸透していて誰かと連絡を取るのは携帯電話。人との関係を維持するために、携帯電話を持ってるからこそしないといけない(と思わされてしまう)行動ってそのころからあって、ある意味携帯電話っていうただの通信手段だったはずのものに、無意識にしばられて行動を促されてるなぁ。。。と若かりし頃に妙に納得して、やたらと胸に染みた。

のを生きてて何度か思い出す。のはそれだけ感じるものがあったからなのかな、と思ったり。

セリフ合ってたかな?と思ってネットで検索したら、【NANA】の名言集見たいなのがTwitterであがってて、このセリフもしっかりと入ってたから、皆感じることは一緒なんだね。

生活様式が徐々に変わっていっても、人と人、人とわんこを結ぶ繋がりは感謝を忘れず大切に繋げていきたいものですね^^

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